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2008-08-15  category:  生活の雑記

記念の日に。



ずっと心に思いながら、実現できてないのが自分の創作活動。。
今日の終戦記念日に
ずっと昔書いた、リキミがちの詩を乗せて(載せて)・・




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  「風吹く場所」


   一番大事なのは いのち
   次に大切なのは 自分
   それをなくして 人生を語ることはできない

   自分を犠牲にすることで
   ひとを救うことは できないように

   自分を見失いがちな この時代
       流されて 行き着く先が
       墓場なのか  楽園なのか
         行ってみなければ わからない

   ひとを救いたいなら
   自分を生かして 救ったほうがいい

   わたしが 自分を殺してまで
   誰かを救うとしたら

   そこには きっと
   ここち良い
   風が吹いている




(これは当時、「風花」のHNの”風(ふう=かぜ)”にちなんだのを
書きたいなと思って、どんな風がいいだろう?と考えた。
でも、どういう風か、よりも、いつも風が吹いている場所があってほしい、
そんな場所=自分になりたい、と、願ったことから、大袈裟な感じに;;)




私の創作の原点は以下の通りです。
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何も、神様のお告げがあったわけでもない。
夢枕にたったわけでもない。
子どもの頃から、自分の思ったことを書くことが好きだったけれど
日常に追われてすっかり、そんなことも頭から消え去っていた頃、
私は、大袈裟に言うと、何もかもを無くした時期があった。

今思えば、無くしたような気になっていただけなのかもしれない。
いつの間にか増えてしまう、しがらみや余計な人生の垢など
そういったものを全部フラットに戻した時に気づいたこと。


ほしいものがなんであるかではなく、その時の自分に残ったもの
どうしても捨てられなかったもの。

本で言えば、「旅の本」。
そして自分のお金で買ったはじめての家具。


本能はあるのだと思った。
何かを残さなければ・・・・。
これは、間違いなく本能だ。


何かを支えに生きるのは恐いとも思った。
何かを支えに生きたのではその何かを失った時が恐いと思った。

誰のせいにすることもなく、誰を恨むこともなく
自分の意志で生きるためには
支えるのは自分自身が一番いい。


そんな時期、無性に書きたくなった。
自分でも収拾がつかないくらい、あふれてしまって。

本能。

人は何かを残したくて生まれてくるような気がした。

子孫、記憶、記録。。。

自分の子孫を残すことにどうしても興味の持てない私は
書くことで、何かを残したいと思った。
思い込みではあるけれど、きっと私は書くために生まれて来たのだ、と思った。
そう思うことで、全ての経験が将来の書くための財産になると思えたし
それを支えにたいがいの困難になら耐えることができるとも考えた。


書くひと。
ひとりで自分を支える手段でありとても自然な目標。

単純に言えば、書きたいから、書くのだ。
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今年の秋こそ、応募したいコンクールがあるんでなんとか書きたいです。
-芥川賞作家津村節子氏の随筆集『風花の街から』の
「風花」(かざはな)を冠した文学賞である「風花随筆文学賞」-
http://www.pref.fukui.jp/doc/bunka/kazahana/toppage.html
芥川賞作家の方に大変失礼ですが、同じ風花なので応募してみたいという
単純な動機で数年前から構想していました。

今のとこ数点考えていて、タイトルは
「面影の鏡」私的つづり。
「錆びた時計」創作性の強い哀しいメルヘン。
「エッフェル塔より凱旋門」などの旅エッセイ、数点。
できれば、何点か応募してみたいです!


・・・・・・
天国のおばあちゃん、
今日の終戦記念日に、いつも古いなぁ。。と
思っていたおばあちゃんの戦争の話、心からありがたいと思って
思い出したりしています。








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